学校法人国際文化学園美容考古学研究所『美容考古学フォーラム』10月27日開催 

学校法人国際文化学園美容考古学研究所では、2019年より髪型や化粧などの観点で縄文時代の土偶、古墳時代の埴輪などさまざまな素材を研究しています。

今年から専門的な研究活動を発表するため『美容考古学フォーラム』と称して10月27日(金)に渋谷校にて第1回目が開催されました。

記念すべき第1回目のテーマは「貝輪(貝製ブレスレット)から考える縄文人のおしゃれ」として、学芸員で市原市教育委員会も務める忍澤成視博士がゲストとして招かれました。

忍澤成視博士

忍澤氏が研究対象とする「ベンケイガイ」そして「オオツタノハ」という貝から作られた貝輪(腕輪)を通し、縄文・弥生時代の人々のおしゃれに対する意識が日常的なモノから権力を象徴するモノへと変わり、それに伴って社会の価値観・あり方も大きく変化したということです。

忍澤博士が捕獲した「オオツタノハ」の貝が考古学、さらには生物学にも反響を及ぼした話にみな興味津々となりました。

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縄文人が多用した貝「ベンケイガイ」

日本において装身具(アクセサリーを指す)の歴史は古く、縄文時代でも現代と同じように、髪飾りや耳飾り、さらには足飾りなど様々なアクセサリーを身につけていたことがわかっています。

使われていた素材は主に粘土を焼いたものや石、植物の繊維、そして動物の骨や角などの自然素材で、腕輪に使用されていた素材として圧倒的に多いものがでした。

考古学ではこの貝で作られた腕輪のことを「貝輪(かいわ)」と呼んでいます。

海の近くに生きた縄文人に食用でもアクセサリーでも特に人気だった貝が「ベンケイガイ」という貝で、腕にはめやすい楕円形の形と軽さ、且つ浜辺にあがったものを拾うという入手しやすいスタイルなどの理由が人気の理由であったと考えられています。

これらの貝輪は女性埋葬人骨の腕部だけに装着された状態で見つかったことから、女性専用のブレスレットとして使用されています。

考古学的にも生物学的にも大発見だった「オオツタノハ」の捕獲

縄文時代、「ベンケイガイ」を素材に作られた貝輪を身につける人物は大人の女性に限定されていましたがた、弥生時代になると女性の他に権力者(男性)も身に付けるといった違いが出てきます。

それではなぜ、縄文時代から弥生時代に時代が移ったタイミングで権力者がアクセサリーを身につけることになったのでしょう。

それは貝輪に使われた素材がベンケイガイからオオツタノハという貝に変化したことに答えがあります。

オオツタノハはカサガイ科の貝で、岩に張り付いて生息し、取り方も浜辺で拾うのではなく、忍澤氏曰く捕獲するといいます。

また、20年前までは生物学界の常識として、大隅諸島・トカラ列島そして伊豆諸島南部の鳥島のみに生息すると考えられていましたが、考古学的には不確定な部分も多くありました。

しかし、忍澤博士は「伊豆諸島に貝輪づくりの遺跡があることから、伊豆諸島南部にもオオツタノハが生息しているのではないか」と考え、研究団と共に八丈島・三宅島・御蔵島にて本格的な調査を行い、その結果、2001年に船も近づけないような激しい波の当たる岩礁にオオツタノハが生息していることを発見。

以後、2007年に八丈島南東、2009年に御蔵島でオオツタノハの捕獲に成功し、オオツタノハ生息の南限と言われていた北緯30°よりも遥か北の伊豆諸島南部海域にも分布する事実を突き止めることに成功しました。

これは考古学的にも生物学的にも極めて重要な発見となりました。

オオツタノハから迫れる様々な考察

忍澤博士はオオツタノハ捕獲の困難さに触れ、「私も波の荒れ具合で何回も空振りに終わったり、擦り傷をつくったりしている。私はボディスーツに身を包んでいたが、当時の縄文・弥生時代の人々の服装を想像してみほしい。そういったことを踏まえると、縄文時代では困難に打ち勝った村の結束力を高める象徴として、弥生時代では農耕稲作を主導する有力者の権力の象徴として見られたのはないかと考える」と推測しました。



また今後の研究にも触れ、「オオツタノハを捕獲する際の船舶の変化や当時の航海技術にまで迫れるようになってきた」と語りました。

当時の人々が自然界の一員として何を意識したか

左:忍澤成視博士 右:荘司礼子理事長

忍澤博士は「博物館を訪れた際には、素材を単なる素材として見るのではなく、当時の人々が自然界の一員として何を意識していたのか、価値観や社会の仕組みを想像しながら見てほしい」と語りました。

4年前に国際文化学園の平野徹前理事長が「美容考古学」をテーマにスタートし、今回名称を新たに第1回目が開かれた『美容考古学フォーラム』。

今後も学校法人国際文化学園美容考古学研究所は平野前理事長の意思をしっかりと受け継ぎ、髪型、化粧、装身具などの理美容文化を考古学的に考察した研究発表の場を設けるとしています。

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